貞観地震と事実認定


裁判の構造は単純である。事実を認定し、認定した事実に法を適用するというものである。たったこれだけであるが、この事実認定をめぐって、裁判は繰り広げられる。そして、事実認定は証拠による。つまり、証拠がなければ、存在したと主張する事実を認定することはできない。建前上、証拠には物証と人証があり、人の話でも証拠となり得る。しかし、感覚的に、日本の裁判においては、人の話だけではなかなか信用してもらえない。

本年3月11日以降の東日本大震災においては、大津波により甚大な被害を受けたが、1100年前の貞観地震の経験からすれば、今回の被害を防ぐことができたという。震災前、一般の人々は、1100年前に大地震があったから大津波に気をつけようと言われても、信じなかったと思う。この貞観地震の被害が存在したという根拠は、延喜元年(901年)刊行の「日本三代実録」という書物である。また、「日本三大実録」にはこう書いてあるから、被害が存在したのだと言われても、信じなかったと思う。それは、「書物に書いてあること」すなわち「人の話」に過ぎないからである。

1100年前に起こった事実を我々は直接経験することはできない。しかし、3月11日を経験した我々は、誰もが貞観地震による大被害の存在を信じるのではないだろうか。時を経て、「人の話」に対する評価が変化し、過去の事実の存在が明らかになることもあるのである。