「法三章」ということばがあります。
小学館・故事ことわざの辞典によると、中国、漢の高祖が項羽より先に秦の軍隊を破って秦を平定したとき、人々を集めて秦の苛法を批判し、法は殺人・傷害・盗みの三つだけを取り締まると約束したという「史記・高祖本紀」の故事による、ということだそうです。
つまり、法律は簡素な方が人々に喜ばれる意味ですね。
なぜでしょうか。
人々は自分本位でみれば自由でありたいから、自分たちを縛り付けるものがないに越したことはないからです。そしてそれで世の中が丸く治まればなおさらよいでしょう。
しかし、現在の日本ではそうはなっていません。
国会で制定される法律は山ほどあります。
今も昔も、司法試験に合格するためには、分厚い六法全書をすべて覚えていなければならないという大きな誤解があります。
実際の司法試験用六法はコンパクトなもので(讃美歌集と似ています)、試験合格者の中でもそれすらすべて覚えている人はまれでしょう。
市販の六法全書も日本の法令のごく一部を集めたものにすぎません。
それほど日本の法律の量は膨大です。
「法三章」の世界からはほど遠いのが現実です。
日本は民主主義国家であり、法律は国民の代表者で構成される国会で決められるのですが、国民は自分で自分を法律でもって縛り付けているとしか言いようがありません。
もう少しくらい自分を信用してもいいんじゃないの、と思うほどです。
法律家にとっては、法律があればあるほど飯の種にはなりますが、法律を必要最低限の量に減らすことも法律家の仕事であると思います。